前回のBlog では構造による難民の定義づけとその影響について、社会・システム論と言われる観点から議論した。その中で、強調したのが、システムや構造に目を向けたとき、そこに悪の権化となる要素(そのシステムの粗悪な歯車)を見出そうとする姿勢には無理があるということだ。そういう視点で見たときに、今回のアメリカ合衆国の移民政策に対する世間の批判、トランプ大統領のメディア報道にはやっぱりそのような無理を感じる。
今年に入ってからというもの、テレビのチャンネルを回せば、トランプの政策、というよりもむしろゴシップと呼ぶ方がふさわしいような内容のテレビ番組で溢れている。確かに、イラン、イラク、リビア、ソマリア、スーダン、シリア、そしてシリアからのイスラム系移民の受け入れを90日間停止し、今後の難民受け入れを半数以下の50,000人に削減はアメリカ国民にはもちろんのこと、多文化主義を国家イメージとして掲げるカナダにとっては衝撃的というのに十分な事柄だった。このような移民・難民への排外的政策は、欧米社会に始まり、日本を含め(日本第一党の結成など)世界中で勢力を拡大している「Alt-Right」(オルタナ右翼)といわれる立場の代名詞にもなりつつある。近頃はこういった排外主義に反感を抱く一方で、それに対する批判、世論のあり方にも違和感を感じている。というのは、「移民を制限すること=国家を守ること」、そういった問題についての論争を、方法(SNS、テレビニュース、討論番組)や批判の仕方(コメディとして皮肉ったテレビ番組からドキュメンタリーの映画まで)は様々あるが、ある種熱狂的とまで言えるまでの一個人、一団体批判に収束し、あたかも勧善懲悪な立場として「正義」を語るその風潮に疑問を感じるからだと思う。それは、alt-right が「Social Justice Warrior」というリベラルへの皮肉を込めた総称を通して自らのヘイトスピーチを言論の自由という名の下に正当化することに同情するわけでない。そうではなく、この戸惑いはアメリカを痛烈にしかも自虐的に、しかし、第三者としてというよりも、過去をもてはやす懐古主義的批判を繰り返す「反トランプフィーバー」に対しての「ちょっと待った」なのである。
今回はトランプ政権の排外主義というものが、いわば歴史における突然変異の産物として生まれたものなのかということをアメリカの国境管理の政策を振り返りながら考えていきたい。そこから見えてくるのは、歴史認識の齟齬、経路依存的に発展していった国境管理と安全の概念、そしてその方法論として生まれてきた難民の他者化の軽視であると思う。そのような観点から、アメリカの国境警備の歴史、特にその中で変化していった国境という概念についての意見を共有することを今回のBlogの目的にしたいと思う。というのも、アメリカの国境管理の経緯から見たときに、今回のトランプの大統領の政策が歴史の外れ値であるとは思わないからだ。むしろ、単純な進歩主義の視点から、こうした現象を突然変異とみなし、歴史を連続的な視点で捉えるようとしないことは無責任だとさえ思う。
アメリカに限った話をする前に、そもそも、国家における「国境」というものはどういう「場」なのかをもう一度考えてみたい。第一回のBlogでは、心理的に構築されていく「わたしたち」と「他者」との線引きとして、比喩的に日常生活においても現れてくものとしての「国境」に触れたが、今回はそれをまず、国家という視点に移し替えてみようと思う。個人間における心理的距離の反映として現れる比喩的「国境」に対し、国家の観点から描かれる国境の特徴は、その実体—空港の税関ゲートやハンガリーで建てられたシリア難民の「侵入」を防ぐフェンス(Blog 第二回 参照)からビザの申請といったシステムのようなものに至るまで—をもとに、能動的にその機能=区別を実行することにある。国境管理の歴史において、その機能というのは国家を安全にしてきたというよりも(もちろん、その役割をある程度認めつつも)、むしろ「安全」という安心感を作り上げることにあったと思うのだ。国境管理の根本的な考えは、主として「侵入者」から国を守ることなのだが、今までの議論からもわかるように、自分が注目するのは、システムがいかに効率的に侵入者を排除できるかではない。むしろ、システムそのものがいかに「侵入者」を作り出していくかということだ。
この観点から浮かび上がる、国境の役割というのは、「違い」を生み出すことだ。「違い」は国境においての排除の基準ではない、むしろ「違い」は排除のために求められ、作られる。そうした「違い」を生み出すリソースとして国境管理のシステムにおいて前提としてあるのは、その「場」における力の格差である、もしくは権力格差と言い換えてもいいかもしれない。では、こうした権力はどのようにして生まれるのだろうか。
いわゆる納税等を前提とする国家への義務の対価としての自由の保障という契約社会・福祉国家の概念に基づいて考えれば、この国境という場の特殊性は顕著になる。というのも、国境という境界線において、すべての人々は平等に、審査の対象、言い換えれば、国家との契約の更新をせまられる。つまり、その場における個人は、決して契約者としてのインサイダー「わたしたち」ではないし、なることはできない。国家がa priori「すでにあるもの」になった現在—過去の契約に基づく国民の自由の保障という名目でその権力を振るうことを許された現在—において、「権力行使=入国管理」を前に一個人は常に相対的に無力だ。例えば、あなたが、海外旅行をしている時にパスポートを失くし、そのまま帰国しようとしたら、おそらく日本の入管検査時には、審査を受けることになるだろう。そこには、黙秘権はあっても審査を拒否する権利というのは基本的には存在しない。この事実からわかるように、国境という場において無力である個人はそれを補完するように自らのアイデンティティを自分の外に求めざるをえない。その方法として国家が提示した特急切符がパスポートなのだ(Blog 第一回参照)。
しかし相対的に無力であることは、すべての人々に平等な扱いを保証しない。なぜなら無力であるというのは、その審査を受ける、すなわち契約更新に際し、国家に対する、個人の相対的権力差を指しているのであって、その審査の方法いかんによって、つまりはその審査が示唆し、提示する「違い」によって、その扱いは平等ではなくなるからだ。その一つがパスポートの有無であることは言うまでもない。過去の契約に基づく権力が、現在作られる「違い」を基準に「正義」の剣を振り回す。そうした過去と現在の入りみだれる国境という「場」において、近年の国境管理はある特定の個人(特に「あなた」を証明できない個人)を他者化することで、その目的、「安心」を作り上げてきた。そして、その区別は常に相互に排他的な「わたしたち」と「他者」なのだ。
前回のBlog では、国境という国家を形作る枠の外からやってくる国家を持たない個人を「侵入者」、もしくは「新たな国家の被扶養者」である「難民」として定義づけることによって、市民と対立する「他者」という形で現れてくるという話をした。難民という立場は、そこから離れざるをえなかった国家との過去の契約と新たな国家が提示する現在の基準の狭間で、「あなた」を失う。そうして、「あなた」を失った難民は契約更新の概念における「違い」という排除の力に対して無力であり、逆説的にその排除への抵抗のリソースをその「違い」、「あなた」を失ったことに求めなければならないのである。なぜなら、難民は過去の国家との契約を失った存在であるにもかかわらず、それ自体を証明するには、例えば、「パスポートを持っていない」では不十分なのである。むしろパスポートが「あなた」をオールマイティに確約するシステムとして発展した現在においては、ときにはパスポートを得るということ自体が非常に困難であったり、危険を伴ったりするにもかかわらず、難民ですらパスポートを持っていた方が「難民」になるのに有利なのだ。そうしたシステムは、突如として現れたというよりも、このような国家のあり方をもとに経路依存的に発展した国境管理の方法により現実化したという方が正しい見方だと思うのだ。
この契約の更新にこそ、国家が国境管理と呼ぶものの大枠が規定されていると思う。特に、近年の国境管理というのは、こうした契約の更新を、被契約者の条件やその「場」における圧倒的権力の差を無視して無理やりに押し付けているというように感じる。そうした横暴さというのは複雑化したその実行方法によって、見えなくなりつつあったのが、現在Alt-Right という新たな思想を通して、彼らにとって肯定的なラベルをつけられあらわになっているのだ。その反応が「昔はよかった」ではやはりおかしいと思うのだ。アメリカの国境政策の歴史についてもこれに例外というわけではない。特に今回は、その方法の複雑化として、アメリカ合衆国が行ってきた国境の拡大と多層化について少し触れてみようと思う。
最近のトランプ大統領の国境警備の強化のニュースをうけて、Quarts はUNHCRを通して認定される「Conventional Refugee」のアメリカ合衆国への第三国定住のプロセスがいかに馬鹿げているほど長いものなのかを紹介している。この記事が示す事実というのは単に、物理的、社会的に形成される「線」としての国境ではなく、むしろ多層的にかつ拡大しつつある国境の概念だ。
難民の申請が示す国境というのは決して「線」ではない。まず、そのプロセスは地図上に示された国境からはるか遠くの場所から始まる。驚くべきは、この12のステップのうち、実際に国境で行われるのは最後のステップのみなのである。それまでの残りの11ステップはすべて、アメリカ国外そしてその境界線からはるか離れた場所で行われる。国境管理という名の下に実行されるプロセスのほとんどが国境の外で終了しているのである。もちろんこれは、Conventional Refugee のプロセスにおける例であるが、それが、アサイラムということになると国境という概念はさらにその多層的面を顕在化させる。
例えば、アメリカでは2005年から、Custom and Border Protection (アメリカ合衆国税関・国境警備国)のエージェントを外国の主要空港に配置している。この主な目的というのは、アメリカにとってハイリスクな人々を、空港を飛び立つ前に排除することだ。そのリスクの基準というのは、必要となるドキュメントを持つかどうかのみを主な対象としており、2010年から2013年までの間に156%もの増加を記録したというデータが残っている。このことからわかるように、国境管理=亡命者からアメリカを守ること=安全、という図式は国境という概念を拡大することによって、下地が整えられてきたのである。
こうした、国外で行われる国境管理は、必ずしも国家のエージェントの派遣という形式のみで行われるわけではない。例えば、別の方法として、アメリカの罰金の制度があげられる。アメリカでは、もしある航空機や旅客船で、パスポートを持たない、もしくはビザが必要であるにもかかわらず、ビザを保有していない外国人が入ってきた場合、その航空機を保有する航空機、船舶を保有、運営する会社が一人につき、罰金を払わないといけないのである。しかも、もしアメリカ税関・国境警備局が規定する旅客を審査するプロトコルを採用し、それに従っている場合、こうした航空会社の責任は軽減される仕組みになっているのだ。こうした民営化された審査において委任された権力に対して、アサイラムシーカーの立場は圧倒的に弱い。というのも、この段階における審査に対する訴えはすべて、カスタマーサービスで扱われ、一般的には法的な対処を求めることができないからだ。拡大していく国境はその民営化とともに、さらに難民の人々の移動を規制していく。
ビザも同じように国境の拡大と多層化を促進してきた要因の一つである。アメリカでは日本を含む38カ国を除いて、すべての国からやってくる人々に対してビザの申請を求めている。こうしたビザ申請において、前提としてあるのは、祖国へ帰る、すなわち、移民の意思の否定である。このことはアメリカにやってきて難民を宣言するアサイラムシーカーの人々にも例外なく適応される。つまり、アメリカにやってきて難民申請をするためには、移民の意思を見せてはいけないという矛盾が生じてしまうのである。こうした、システムのズレは難民申請を行う人々が多い国のビザ申請棄却率に顕著に表れていることが知られている。
こうした国境の拡大化の流れの中で、アメリカ政府は国境警備の強化を続けてきた。「”prevention through deterrence”」(「抑止力による保護」)の合言葉を元に、アメリカの国境警備局は、「不法移民」への罰則の強化と労働者とハイテク技術の投資に経費をつぎ込んできた。今でこそ物理的な壁の建設の有無がドナルド・トランプというキャラクターを持って一般大衆の議論の的となっているが、カメラやセンサーといった技術と人海戦術による監視の増加をもとにした国境の規制はすでに進められていたのだ。その結果として増えたのは「不法」移民の検挙率でもなければ、アメリカへと「不法に」移動する人の目を見張る減少でもない。実際に増加したのはアメリカ国境を越える際に命を落とす人々の数である。” Deterrence” (抑止力)は人の移動を止めたのではなく、人の移動の進路を変えただけなのだ。多くの人が、以前まで使われていた国境街と呼ばれる場所から離れ、東の砂漠地帯を横断するようになった。ヨーロッパ地中海でのボート難民で多くの尊い命が失われていた時、アメリカの南の国境でも同じように、国境警備から逃れるようにして失われている命があったことはあまり知られていない。このような経緯を考えると、トランプの壁の建設という話をなにかアメリカの歴史の外れ値として扱うのはやはり的外れな議論だと思う。
中にはこれまでの議論(特に第二回と第三回)に関して、ある疑問を持った人もいるかもしれない。というのも、この議論の中で今までは大きな枠組みにおける制度のあり方、発展について紐解きながら、その前提、背景、歴史に対して疑問を投げかける形で議論を進めてきた。そうした観点から繰り広げられる議論は制度化された「難民」を通してでしか、その問題を捉えることはできない。つまり、ここで新たに生まれてくる疑問というのは、主観、かつ主人公としての難民—制度して認識される客観的、かつプラグマティスティックに定義された「難民」ではなく—はどこにいっていしまったのだろうかということだ。国際難民問題としての難民問題の議論は、自らをその有効手段として提示するのみでなく、それを通して現れる「難民」を規定し、ある種、手段を合目的化するために難民を国際化していることについては述べてきた。このように難民の「難民」化を社会のシステムからアプローチする方法は、制度に翻弄される「難民」像の批判はできても、その制度自体に自らの経験を通して訴えかける難民の「主観」を捉えることはできない。つまり、その批判における「難民」像は、その像を壊すのではなく、その像に準ずる形で、その像を批判しているだけなのだ。次回のBlogでは、そのような人々を捉える少し別の視点を紹介できればと思っている。