カナダで活躍する日本人、第25回目は親子留学で渡加し、いくつもの苦難を乗り越えてケアギバーパイロットから永住権を取得した奥知さん(以下敬称略)をご紹介します。ケアギバーパイロットからの申請のキーになる雇用主をどうやって見つけたか、就労ビザが失効した後パンデミックの中どうやってサバイブしたのかなどをお聞きしました。
QLS:永住権取得おめでとうございます。それにしても待っている時間が長かったですね。
奥知:はい、長かったです。申請当初ケアギバーのプロセス期間は、半年から一年と言われていましたが、直後にコロナがパンデミックになり移民局はほぼクローズし、以来一年半近く何の動きもなかったんです。ワークビザは既に切れてましたし、貯金を切り崩しながらの日々でした。
結果が出るまでどうやってカナダで待つのか、帰国も含めて大きな決断が必要になっていました。しかしその頃にEI(失業保険)がおり始めたんです。
以前、コロナの給付金も対象外で困っていた時に、友人がEIを申請してみたらどうかと言ってくれて、書類を揃えて申請していました。
当時の私の状況から審査がかなり長引きましたが最終的にはeligibleとなり、生活もずっと楽になって何とか乗り越えることができました。
また、ちょうどその頃移民局のトップからケアギバーの審査がずっと保留になっているので、優先順位を上げて審査を促進するという発表があり、そのあとは一歩一歩審査が進み無事にカナダにいながら取得することができました。
QLS:先が見えないまま、ただ待っているのは本当に大変だったと思います。さて、話は遡りますが、カナダに来られたきっかけは何だったでしょう。
奥知:そうですね。私の場合は家族の影響が大きかったかもしれません。私の幼少期なのでずいぶん昔の話になりますが、私の家族は洋画や洋楽好きで、子供の頃から色んな洋画を見たり、洋楽を聴いたことが海外に興味を持つ一つのきっかけではあったと思います。また個人主義の北米に対する憧れのようなものが漠然とあったようにも思います。
将来はアメリカで通訳とか旅行関係の仕事に就きたいなと思って、とりあえず英語の勉強はしっかりやっていました。しかしその後2度ほど挫折というか、高校の時に交換留学の学生とうまくやっていくことができなかったり、短大時代に英国に留学するチャンスもあったのですが事情があって見送ったりと、なかなか夢に近づくことができずにいました。
短大卒業後は海外とは関係のない仕事につき、結婚後は子育てや主人の両親の介護に追われる日々でした。ようやく落ち着いたときに今度は自分の夢だったことをさせて欲しいと主人を説得して、親子留学を許可してもらいました。カナダを選んだのはUSに比べて治安が良かったからです。
QLS:なるほど、親子留学というと、お子様は日本とカナダの両方で初中等教育を経験されたわけですが、日本とカナダの教育の違いは何でしょうか。
奥知:日本の小中学校の教育ですと、先生は授業についていけない子供がいてもどんどん先に進んでいってしまって、ついていけない子供は自分でやるしかないんですが、こちらはクラス全員が一定レベルになるまで先に進まないんですね。スローなんですけどいいところでもあると思います。
それと、日本だと男の子と女の子が仲良くしていると冷やかされたりすることがあると思うんですが、こちらは子供の社会も男女平等という感じで、男女隔てなく皆仲が良く誰に対して優しくて、そういう点が全く違うように感じました。逆に日本の方がいいのではないかと思うのは、勉強の内容ですね。日本の方が進んでますしどの教科も奥深いところまでやっているなという感じはありますね。
高校になればカナダの学校も内容が深くなり、日本の高校より選択科目が多く選べ、興味のある分野をより早くから専門的に学べるように思います。
学校の行事は日本のものよりカジュアルで、楽しむことが大切という感じでした。母親の私も一緒に参加して親子で楽しんだり、お手伝いさせてもらったり、全てが素敵な良い思い出です。
QLS:お子様によって海外生活の向き不向きはありますか。
奥知:ほとんど無いと思います。もちろん環境はがらりと変わるわけですから、子供も戸惑いはあると思います。しかし親が一緒にいることでどこかで安心して適応していくように思います。子供のうちは感性が柔軟ですから、大抵の場合、慣れ出したら大人よりもかえって早いように思います。
うちの場合は息子が9歳、娘が11歳で来たんですけど二人とも来た当初は英語もYes, No, Helloくらいしかわからない状態でした。2人とも少しシャイな性格ですが、息子の方はクラスの男の子と遊んでいるうちにだんだん馴染むことができました。現在はカナダで高校3年目を迎えています。
娘の年代は既に年頃で、女の子はクラスにグループのようなものが出来ていましたが、皆さん本当に優しく受け入れてくれたので娘もすぐに慣れることができました。中学卒業後は日本の高校に通っていますが、英語は特に秀でていて他の科目を入れてもほぼ3年間成績上位者で留学した甲斐があったと思います。将来は国際的な仕事を目指しており卒業後にカナダに戻る予定です。
QLS:カナダに来られたときからケアギバーで移民権を取得しようと考えられていましたか。
奥知:永住権は取りたいなとは思っていましたが、何の分野でどの枠で申請していくかは決めていなかったんです。まず、どういう移民の方法が自分にふさわしいのかもわからなかったんです。私がカナダに来た時は既に38歳になっていました。
英語もだいぶ忘れていたのでまずは語学学校に行きました。その学校のカウンセラーの人とこの後どうするかという話をしたときに、私に何ができるかを真剣に考えました。日本では介護士(パーソナルサポートワーカー/PSW)の資格と経験があったのでそちらの方向がいいなと思ったんですが、たまたまその年は私が進もうとしていたカレッジに、PSWのプログラムに留学生の枠がなかったんです。それで自分自身の子育ての経験も生かせること、子供も好きだったのでChild care educatorのプログラムで移民まで進めていこうと決めました。
QLS:カレッジのプログラムはどうでしたか。
奥知:ハードでした。北米のカレッジやユニバーシティーは入るのは易しくて、卒業するのは難しいと聞いていたんですがその通りでした。
私の選んだ幼児教育プログラムでは、子供の成長学(子供の体がどういう風に発達していくか)、子供の年齢に合った子供部屋の作り方、社会学、専門用語英語、子供に相応しい食べ物とその栄養学などの科目がありました。あと研修ですね。私の場合は木曜と金曜が研修で、月曜日から水曜日までが座学だったんですが、週末には座学の科目のオンラインのテスト。それでいて、授業は毎回30-40ぺージ進むんですね。研修のレポートも書かなきゃいけない、研修先では子供の発達に良い遊びを、学んだことを元に自分で考えて披露しなくてはいけなかったり・・もう本当にハードで、それに加えて子供が2人いたので子供が寝静まってから課題をやったり、合間を縫って次の研修の材料を購入して工作をしたりしていました。思っていたよりずっとずっとハードでした。
QLS:そうだったんですね。卒業後は仕事はどうやって見つけられましたか。
奥知:将来永住権を申請するには、私は最低でも2年のケアギバーとしての経験が必要でした。カレッジ卒業後のワークビザは既に一年を切っていました。まず次のワークビザに繋げるにはLMIAを申請するしかなく、つまりLMIAを出してくれる雇用主を見つけることが必須でした。
幼児教育学科を卒業すると、公立の学校附属のキンダガーデンやデイケアセンターでも働けるのですが、それだとLMIAを取るのは大変難しいのです。それでカナディアンファミリーの元で働くプライベートケアギバーの道を選びました。
幸い子連れで来たので子供を通じてカナディアンのお母さんの友達もいましたし、またそういうご家庭で働かれている先輩のケアギバーの方たちとも知り合う機会がわりとあったんですね。カナダはまだコネ社会なところがあるので、ケアギバーを探しているご家族を紹介していただいたり、ケアギバーとケアギバーを探している家庭をマッチングするウェブサイトを利用したりしました。私も色々なご家庭で働いたんですけど、移民申請に必要な十分な時間がもらえなかったり、希望していた時間が合わなかったりで、条件の合う家族と出会うのはなかなか難しかったです。
最終的にはケアギバー専用ウェブサイトで何家族かとコンタクトし面接もして、ようやく朝昼の時間でフルタイムでお仕事をいただけるところが見つかりました。
雇用主には、最初の2ヶ月は試験的に雇用したいと言われました。子供とあなたが合いそうか、あなたがどういう人なのかを見てから長期で雇いたいとのことでした。
以前と違い現在はワークビザのスポンサーとしてLMIAの申請費用も高いですし、審査にはご家族のプライベートな様々な書類を出していただかないといけないので、スポンサーになりたがらない人が大半なのが現状なんです。
でもその雇用主ご家族とは大変気が合って、私も臨機応変に要望に応えながら頑張らせていただいた結果、1ヶ月もたたないうちに気に入ってくれて、正式に雇ってくださることになりました。LMIAも通るかどうかはわからないが、やるだけやってみようと言ってくれたんです。
本当に嬉しくて嬉しくて、その日の帰りのバスでは人知れず泣いたのを覚えています。雇用主ご家族には今も心から感謝しています。
そこからはLMIAをサポートしてくれる移民のロイヤーを探しました。そしてこれが上原先生と出会うきっかけにもなりました。
当時お世話になっていた先生には出来ないと言われ、次に訪ねた先生にも出来ないと言われました。再び途方に暮れましたが最後に訪ねた上原先生は、“できますよ”とおっしゃってくれたんです。本当に助かりました。そして全てお願いすることにしました。
先生の人柄、仕事の迅速さ、わかりやすい説明をしてくださるところに信頼が湧き、それ以来もう4、5年になるでしょうか、今回永住権を取得するまでお世話になりました。
QLS:なるほど、紆余曲折あったんですね。ケアギバーのプログラムは結構日本から注目している人も多くてよく問い合わせがあるんですが、日本から雇用主をみつけるなどはちょっと難しそうですね。
奥知:そうですね、やはりフルタイムで来てもらう人を雇うとなると、その人のバックグラウンドとかカナダでのヒストリーもしっかり見られます。既にカナダに来られていて、面接もすぐにできないとちょっと厳しいと思いますね。
子供は楽しく過ごせれば大体懐いてくれますが、そのご家族との相性というのは、しばらく働いてみないとわからないということもあります。例えば、ご家族によってはケアギバー以外の仕事(ちょっとした掃除など)を頼まれる場合もあるので、その要求の程度に柔軟に対応できるかどうかも実際に働いてみないとわかりませんね。
QLS:ケアギバーの仕事の内容についてはどうでしょうか。
奥知:そうですね。ジョブディスクリプションには最低限のことしか書かれていないので、雇用主と仲良くなればなるほどそれ以外のことも頼まれることはありますね。あと子供が大きくなるにつれて求められることも変わってきます。例えば、私がお世話した子供さんは、初めてお会いした時は8カ月だったんですね。まだハイハイも始まる前くらいで、その時はもちろん赤ちゃんとしてのお世話が多かったです。ベビーカーに乗せてお散歩とか、ランチを与えるとか、寝かせるとか。トータルで3年雇ってもらったんですが、その子もだんだん大きくなって2歳、3歳になるとフリーのデイケアセンターがあるので、そこに毎日午前中はソーシャライズのために連れて行きました。お昼に家に戻ってきてランチを用意し、子供が寝ている間はちょっとした掃除などもしましたね。
QLS:ソーシャライズのためのフリーのデイケアというのは日本では聞いたことがなかったです。
奥知:はい、日本にはあまりないと思います。こちらは一般的に子育てには協力的ですし、子供を持つ家庭には手厚いですね。子供手当も日本より多いと思います。
QLS:それでは、最後の質問になりますが、これから親子留学される方、ケアギバー留学・移民を目指す方に何かアドバイスはありますか。
奥知:まず、全般的なことですが、移民を目指す際に各州の移民の仕方について調べることが大切だと思います。確かにトロントは学校も多いし雇用のチャンスも多いということで私も来たのですが、トロントのあるオンタリオ州はカナダでも1番の人口を誇るだけあって、移民するのも一番難しい州とされています。私もいっとき他の州での移民法を調べたことがありましたが、やはりオンタリオよりは比較的移民しやすいように見受けられました。実際他の州で早く移民を取られてトロントに移ってきた若い人もおられましたので、私もそうしていればもっと早く移民が取れたのかなとも思います。
親子留学については、私が調べた限りでは殆どの国で全日制の日本人学校があるんですけど、カナダは補習校しかないんですね。なので平日は現地の学校に通うことになることを知っておく必要があると思います。もちろんESLのクラスはあります。
それと、子供さんの学校はこっちに来てからでないと決められないということです。教育委員会のルールで、自分たちが住んでいるエリアの地元の学校に入ることが決まっているんです。なのでどこに住むかが重要になってきます。私もそうだったんですが、1か月単位で借りれるコンドミニアムがあるので最初はそこに住んで、1か月の間に不動産屋さんと精力的に物件を見て回りました。
ケアギバーで移民することに関しては、とにかく雇用主との信頼関係をまず作らなければいけないのと、何件もまわらないとなかなか条件があうところは見つからないのでそれがチャレンジになるかと思います。
QLS:今日は親子留学やケアギバークラスで移民を目指す方に大変有益なアドバイスを沢山いただけたと思います。お忙しいところ時間を作って頂きありがとうございました。
<インタビューを終えて>
奥知さんはこれから先、副業で親子留学やケアギバー移民のためのエージェントもやってみたいとおっしゃっていました。実際にご自身で体験されたからこそできる有益なアドバイスが期待できそうです。今後のご活躍をお祈りしています。