カナダで活躍する日本人、第9回目はカナダ経験クラス(CEC)から永住権を取得して、現在レジャイナで准看護師として活躍されている西村道子さん(以下敬称略)をご紹介します。西村さんのナースとしての日々は“Turn the Page“に綴られています。
QLS:このたびは永住権取得おめでとうございます。早速ですが、カナダに来られたいきさつから教えてください。もともと理科系のご出身ですが、日本では出版社にお勤めでしたね。
西村:話すととても長くなってしまうのですが…。学生時代は化学を専攻していました。卒業後はメーカーに就職して開発や研究などをしたいと思っていましたが、就職氷河期まっただ中で、大学院卒が求められる時代になっていたこともあり、100社くらい応募してもどこにも就職できませんでした。それで、もともと読書がとても好きだったのと、なおかつ理系の編集者というのは少ないので、穴場というか、就職が得やすかった、というのが編集者になった理由です。転職も何回かして自分の専門の化学だけではなく数学書や医療など、「理系」という大きな括りで仕事をしました。新しいことを学ぶのが好きなので、仕事は忙しくても楽しかったですね。自分でペースをコントロールできる部分もあって、それもよかったです。
それとは別に、学生時代に星野道夫さんという写真家のエッセイに出会ってからアラスカ先住民に興味を持ち、本など読みあさったり、博物館や講演会に足を運んだり、現地アラスカへ旅行したりしていました。しかし、それではどうしても物足りなくなり、どうすればアラスカに長期滞在できるかを考えるようになりました。米国はビザ無しの滞在は3ヵ月で、その短期間のために仕事をやめる気にはなれず、かといって留学する程の英語力はなく、どうしようかと思っていたときに、カナダならワーキングホリデーがあって1年滞在できることを教えてもらい、「それだ!」と飛びついたのが最初にカナダに来た理由です。当時、すでに30歳で年齢制限ぎりぎりだったこと、それから今よりも人数制限が厳しかったので、カナダに行けることになったのはラッキーでした。お恥ずかしいのですがまったくの知識不足で、そのときカナダについて知っていたのは、公用語が仏語と英語であること、メープルシロップの産地であること(笑)、「アラスカと地続きだから先住民もいるだろう」くらいでした。自分でもよくあんな無謀なことをしたな、と思うのですが、英語も誇張ではなく本当にできなくて、今でも当時からの友人たちは会うたびに口を揃えて「Michikoは本当に英語しゃべれなかったよね」と言います(笑)。
QLS:先住民への興味がきっかけとういうのはユニークですね。実際にカナダに来てみてどうだったですか。
西村:ワーキングホリデーでバンクーバー、クイーンシャーロット島(現ハイダグアイ)、イヌヴィックなどを回りましたが、先住民の人と触れ合うにはコネがないとどうにもならず、4ヵ月ほど経ってお金もだんだん尽きてきた頃、先住民の多くいるイエローナイフでWWOOF(オーガニックファームのボランティア)の募集があるのを知って、そこに行くことにしました。行ってみたら、ファームではなく、陸の孤島にあるロッジでグリーンハウスをゼロから作るお手伝いでした。ボランティアの合間に、ロッジのスタッフの方のお手伝いをちょこちょこしているうちに、オーナー夫妻に「働けるビザがあるならうちで働いたら?」とオファーをいただき、ハウスキーパーとして働いていました。オーナー夫妻も「雇ってあげたい」と思ったものの、英語ができないので接客ができず、じゃあということでハウスキーパーだったのだと思います。先住民のスタッフの方に色々な話やクラフトなどを教えてもらったりして、その辺りからだんだん自分で思っていたよりもカナダにはまっていって、「もしかしたら、日本に帰国してもいつかカナダに戻ってくるかもしれないな」と思うようになりました。
当初はお金を貯めたら東側の方に移動して行くつもりでしたが、結局ワーキングホリデーのビザが切れるまでずっとイエローナイフにいました。オーナー夫妻が「カナダで働きたいなら労働ビザに協力するし、永住権を取りたいならそれも協力する」と言ってくれて、その気持ちは本当にありがたく思いました。ただ、そのままずっとカナダにいられたとして、私ができるのは英語ができなくても問題がないハウスキーパー。勉強していなかったからあたりまえなのですが、1年いても英語は全く上達せず、人の好意に甘えないと生活できない。それって、本当に私が「こうありたい」と思う形なのかなあ、と思って、頭を冷やすためにも一旦帰国することにしました。
日本に戻って、すぐにまた仕事を得たこともあって、「とりあえず2~3年は働こう」と思っていました。英語の勉強と貯金をしながら1年経った頃に、やっぱりどうしてもカナダに戻りたいという気持ちが消えず、どうしたら自分の納得のいく形でカナダにいられるか、と真剣に考え始め、それまでの職種であった編集とは全く別の「看護」という答えにたどり着きました。このときの仕事が医療系の編集で、緩和ケアのお医者さまとお仕事をさせていただいたことにも大きな影響を受けました。
QLS:なるほど、日本に戻ってからキャリアチェンジを決意されたわけですね。何かとご苦労もあったと思いますが、カナダで准看護師になるまでどうだったでしょうか。
西村:本当に英語ができなかったので、LPN(准看護師)のコースの入学要件であるTOEFL iBTの80を超えるのがまず一苦労でした。会社員生活もかなり忙しかったので、この頃は自分でも「ノイローゼになるかも」と思いながら勉強していました。トイレやエレベーターの中でも単語カードをめくっていました。
それだけ勉強して、ようやく入学できることになって学校に来てみたら、全く英語力が足りなくて、愕然としました。ルームメイトとの会話にもついていけないし、授業の進みは早いしで、1年生の1学期と2学期の前半ぐらいまでは本当に文字通り「寝る間も惜しんで」勉強していました。もともとの専門ではなかったので、何について話しているのかさっぱりわからないこともよくありました。授業をボイスレコーダーで録音して聞き直し、英語の教科書の説明がわからないと、日本語に訳し、その日本語の意味もわからないのでインターネットで調べる…という二度手間どころか三度手間の勉強法でした。単位を1つでも落とすと自動的に留年なので、必死でした。
ただ、後半からは友達もでき、だんだん勉強にも余裕が出てきて、楽しかったです。特に、グループワークの時に私がアイデアを出したりすると、クラスメイトに「Michikoはクリエイティブだね」と褒めてもらえたりして、そういう小さな積み重ねは自信につながって行ったと思います。クラスメイトは16歳から53歳までの32人で、元々のカナダ人でなかったのは私を含めて7人、男子が3人と、地方の小さな学校にも関わらず色んな人がいる、というのはカナダらしいと思いました。
QLS:カナダでは看護師が不足しているという話はよく聞きますが、実際カレッジ卒業後の就職はどうでしたか。
西村:看護職はフルタイムの仕事を得やすいだろう、と思ったのが、選んだ一つの理由でしたが、これは大きな誤算でした。実は、クラスメイトで卒業と同時にテンポラリー(契約期間付き)とはいえフルタイムの仕事を得られたのは私だけでした。他の人はパートタイム、もしくはカジュアル(人が足りないときに入るような形のポジション)でスタートしたようです。私の場合は、当時のマネージャーがフルタイムとして雇用してくれたのですが、地元のサスカチュワン州の学校を卒業した人たちもパートタイムもしくはカジュアルでスタートしていて、私がフルタイムだというとかなり驚かれたりうらやましがられたりしました。未だに、なぜ当時のマネージャーが、英語もまだよくできず地元の学校出身でもない私を優先して採用してくれたのか、本当に不思議です。
テンポラリーではありましたが「パーマネントのポジションが得られるまでいくらでも延長してあげるから」と言ってもらえました。待遇にほとんど差はないのですが、パーマネントだとサスカチュワン州のプログラムで永住権申請が早い時期にできるというメリットがあったので、パーマネントにこだわっていました。ただ、結果的にパーマネントのポジションを得られたのがずっと後になったので、カナディアンエクスペリエンスクラスでの申請となりました。
QLS:実際にサスカチュワン州で准看護士として働いてみた感想はいかがですか。
西村:カナダは「州が違うと国が違うくらい違う」と聞いていたのですが、本当にアルバータ州から来た私には、サスカチュワン州の病院は用具も用語も書類も違うことだらけで、新人だったこともあって最初の4ヵ月ほどは「もうクビになるかも」とシフトに行くたび落ち込んでいました。でも、カナダはできなかったり失敗したりしても「次から頑張ればよい」という雰囲気なんですね。職場で常に「何かわからないことがあったら何でも聞いてね」「何か問題があったらすぐに教えてね」と言ってもらえ、本当にありがたいことだと思っています。上司や先輩にも恵まれていると思います。
英語での苦労はもちろん今でもあります。ただ、私が働いている内科では、カナダ人の他、フィリピン人、ナイジェリア人、メキシコ人、インド人等々、他の国から来た同僚もたくさんいて、私の日本語訛りもあまり気にされません。また、わからないことは素直に聞くことにしています。まだまだできないことも多いですが、そこはカナダのいいところで、長所をまず認めて尊重してくれるので、新人だから、外国人だから、ということで肩身が狭いというようなことはありません。
病院は公立なので公務員扱いで、待遇はとてもいいです。日本で看護職をしていなかったので一概に比べることはできませんが、サービス残業は絶対にないし、休暇も取りやすいです。ユニオンが日本よりもずっと強くて、一度パーマネントフルタイムになってしまえばずいぶん守られていると感じます。給与面でも、日本の准看護師と比べた場合、恵まれているのではないかと思います。私はずっと民間企業でしたが、前職と比べて年収も上がったので、経済面に限って言ってもこの転職は正解だったと思います。
もう一つ、日本と大きく違う点は、上下関係がほとんどないところです。私はLPN(准看護師)で、いつもRN(正看護師)さんと一緒に働きますが、ほとんど仕事内容に違いはありませんし、パートナーとして対等に働いています。医師の指示を仰ぐ場合でも、お医者さんから逆に意見を求められたりします。そういう意味では、自分のポジションが尊重されているなというのと同時に責任感も感じます。
内科は、救急とICUに続いて症状の重い患者さんが来るので、大変なことも多い分やりがいもあり、勉強になります。科には教育係が2人いて、「育てる」という風土が感じられるのもうれしいです。また、チームワークが求められるので、そういう意味では協調性のある日本人で良かったと思うこともしばしばあります。
QLS:とても充実した日々を送られているようですね。では今後のプランを聞かせてください。
西村:永住権も無事に取れたので、今後は学校に戻ってRN(正看護師)を目指したいと思っています。留学生だと学費を3倍くらい払わないといけないので、経済的な負担が大きいんですよね。また、パーマネントフルタイムのポジションは、働いていなくても数年間キープできるようなので、そういう意味でも学校に戻りやすい環境なのはうれしいことです。また、将来、両親の介護等で一時的に長期間帰国したときに日本で働けるように、いずれは日本でも正看護師の資格を取れればと考えています。
一口に「看護」と言っても幅がとても広いので、他の科で違うことを学んでみたい気持ちもありますし、取れる資格も様々ですし、キャリアの面でやりたいと思うことは果てしないです。特に緩和ケアと地域医療にはとても興味があって、正看護師になるとそういった選択肢が広がるのがいいなと思います。
個人的には、趣味(?)の先住民の文化について、最近遠ざかってしまっているので、深めていけたらと思っています。イベントはいろいろあるのですが、シフト勤務のため、なかなか参加できないのが悩みです。
QLS:最後に今後カナダ移民を目指す人へのメッセージ、サスカチュワン州のPRもお願いします。
西村:私がサスカチュワン州のレジャイナに来たのは、偶然でした。もともとはアルバータ州で学校に通っていましたが、最後の卒業実習で受け入れ先が州内で見つからず、かなりぎりぎりの時期になってしまいました。困ったコーディネーターの人が「サスカチュワンでもいいか」と聞いてきたので、「もう卒業できるならどこでも」ということで、サスカチュワンで最後の実習をすることになったのがきっかけです。それまでは「サスカチュワン州」の名前も知りませんでした。目立った大きな都市もないし、有名な観光地がある訳でもないし、他の州に比べて地味ですよね(笑)。内陸で平地なので、冬寒く夏暑いという自然環境で、風光明媚でもなく、そのあたりがあまり人気がなく知名度も低い理由かなと思っています。これと言った特徴も思い浮かばないのですが、カナダ内で唯一、夏時間の制度がない州でもあります。
私がいるレジャイナは、大都市と大都市の中間地点にあり、独特の文化圏という点で日本で言うと名古屋あたりかな、と思っています。州都ではあるのですが、街の規模は小さくて、人もフレンドリーです。他の州から多くの人が仕事を求めてきているので、雇用面については他の州よりも機会があるのではないかと思います。私の周りの看護師さんたちの中にも、BC州やアルバータ州で仕事が得られなくて引越してきた、という人が何人もいます。
サスカチュワンはカリウムが採れるということで、最近も多額のお金が投資されたばかりです。街も私が来た2年前に比べても、新しい地域が住宅地としてどんどん開発されていたりと、成長を感じます。ただ、不動産の価格が5年前の2倍以上になっているようで、バブルなのかな、とも思ってしまいます。
また、レジャイナは他の地域よりも人種のバランスがとれているように思います。ちょうど東西の真ん中あたりに位置していることも関係しているのかもしれませんが、白人系、先住民、黒人系、中東系、ヒスパニック、アジア人も、中国人や韓国人の他、フィリピン人、インド人、とさまざまで、特にどの人種が突出して多い、と言う印象がありません。バンクーバーやトロントのような大都市でもないのにこれだけのダイバーシティがあるというのは、初めて来たときに驚きました。
年に一度、「モザイク」というミニ万博のようなイベントが開催され、各国(例年26ヵ国ほど)のパビリオンが市内に開設されます。各国の食べ物を食べられたり、歌やダンスなどのショーも楽しめます。多民族国家のカナダならでは、ですね。差別や偏見はもちろんどこにでもあるのだと思いますが、今のところ感じたことは全くありません。私はそういうのに鈍感な方なせいかもしれませんが、むしろ「違っている」ということをとても尊重してくれていると感じています。
カナダで永住権を得ることで、人生の選択肢が広がると思います。日本にいると、学校を卒業して会社に入って…という以外の選択がなかなか難しいですよね。私もそうだったのですが、新卒で就職がないと、その先がかなり難しくなってしまいます。でも、カナダは何歳になっても学校に戻りやすい環境でもあるので、スキルアップを目指したい方、私のように全く違う仕事に転職したい方などには向いていると思います。私は、日本にいた時よりも、ずっと自分らしく生きることができて、のびのびした気持ちで過ごしています。
QLS:そうですね。カナダでは年齢に関係なく、自分のやりたいことを始められる土俵があると思います。今後の西村さんの一層のご活躍を願っています。本日は貴重な経験談をありがとうございました。