第四回 家族と移民

Wir riefen Arbeitskräfte, und es kamen Menschen.
労働力を呼んだつもりだったのに、やってきたのは人間だった。
(マックス・フリッシュ)

移民とは「ヒト」の移動ではなく、「人間」の移動である。経済誌の額面、政界の討論では「ヒト・モノ・サービス」における「ヒト」、つまり単なる労働者としての移民が議論されてきたし、今でもその風潮は残っている。これら対象化された「ヒト・モノ・サービス」に対する全能的国家を前にして、移民はコントロールされる対象物でしかない。たとえば、日本で未だ続いている「開国vs鎖国」論もそうだし、21世紀に入ってから続く欧米諸国で経済移民と難民の区別の問題もそうだ。ここには移民の「わたし」は存在せず、ヒトとしてのもしくは登録された「あなた」だけが歓迎される。そういえば、イギリスのメア首相も最近移民の家族移民を含め移民の絶対数を大幅に削減することを決定したようである。

短いながら、(いや、むしろこのシンプルで的確な一文だからこそ)この言葉は過去の移民政策における、「人間」としての移民への接しかたに対する過ちを私たちに突きつける。彼のセンセーショナルな言葉はこうした過去の移民政策への反省が「Humanitarianism」という「人間」を全面に押し出した形で議論されてきた様子をもっとも的確にとらえた表現だと思う。この過去の反省が照らし出すのは、数字上の移動、使い捨ての都合の良い労働力としての移民という概念からのパラダイムシフトの必要性だ。移民は「ヒト」の移動ではなく、「人間」—ネットワーク、アイデンティティ、文化あらゆるものを受容者であり発信者でもある—の移動である。この文面上でのわずかな違いが、実際はいかにかけ離れた考えから生まれてくるのか、そしてその歪みが生み出した社会の変化とその中で対症療法的に発展していった政策がいかに移民における「人間性」を否定してきたのかを端的に訴えかける。このシリーズでは、その中でも「家族」という焦点からこの「ヒト」と「人間」の認識の違いからうまれる矛盾について見ていきたいと思う。

家族というのは今日の社会において人々が最初に帰属意識を芽生えさせる最小単位の共同体だと言われてきた。その特徴は「近さ」が生み出す強い連帯であると思う。それは、同じ屋根の下で一緒に暮らすという物理的距離や生活の同時性であり、血のつながりからくる遺伝的類似性でもあるだろうし、はたまた、長い時間をかけて生み出される精神的な親密さとも言えるだろう。

この「強い」連帯が移民政策においてホットな話題として、政治家やポリシーメーカーの議論の対象となったのはここ数十年ほど前の話である。もちろん、こういった事実は、ただ単に議論の対象としての「家族」というものが現れたのが最近というだけの話であって、家族という共同体が移民において一つの重要な要素であったことは今も昔もこれからも変わらないだろう。しかし残念ながら、移民政策において家族という強いつながりは、一方ではその政策的合理性の根拠でありながらも、移民についての議論の中心になることは少なく、あくまで付帯的な労働者の性質として扱われてきた。

移民制度は私たちにどのような家族像や家族体系を現在の「典型」として提示してきたのだろうか。また、逆に移民の案件を中心にして経済的、法律的様々な環境要因の中を生き抜いてきた家族という共同体はどのような変化を移民制度さらには移民という考え方そのものにもたらしたのだろうか。このシリーズが終わった頃には、また新たな視点で移民というものについて考えてもらえれば、個人的にはうれしく思う。

移民が経済の発展や国力との関連において頻繁に議論される時、その期待される役割というのは労働力の再生産の補填である。かなり乱暴にまとめるなら、国民の社会保障うんぬんで生活の質を高め、出生率の上昇を目指し、必要な教育を国家が保証することで労働力の量と質を維持することが典型的な国家の「国民」に対する役割とすると、それだけでは必要な労働力を補うことはできないから、外から新たな安い労働力を労働力の調節弁として補填してしまえばいいではないかという短絡的な考えである。政府としては、仕事があるからあなたたち労働者も必要で、あくまで一時的な穴埋めとしての雇用なのであり、それが終わったらとっとと帰ってくださいというわけだ。

このような短期的視点から作り出される移民のあり方に準ずるように発展していった移民政策では、家族という社会的なつながりは政策によって考慮に入れるべきリストには入る由もなかっただろう。政策上、文面上に置いて移民は「ヒト」であり「人間」(≒「国民」)ではなかったからだ。その最たる例が短期移民労働者の奨励と発展が社会保障という概念の外で起こってきたという事実にある。期限の設定は単純な労働期間の時間的な長短だけでなく、政府の移民への姿勢を如実に表している。政策上、彼らには新たな国での未来は基本的には想定されていない。そうした時間の設定は、「今」に対する対価、労働に対する純粋な対価としての賃金のみを、企業そして国家の社会的責任としてきた。そうした移民政策において「ヒト」は生まれる。「ヒト」は労働力に収斂し移民そのものが「Disposal「使い捨て」」になっていった。

こうした「ヒト」の生産過程において、移民政策は同時に移民の家族像というものを作り上げていった。つまり、移民が「ヒト」としか認識されない時(今でもこの側面が前面に押し出される時は)、家族というのは基本的には労働者の付帯物でしかない。その中で描かれる家族像というのは、良心的に解釈しても、Bread Winner である「ヒト」(労働者)とそれ以外の被扶養者からなる父権制的な関係のみだ。そこで発生する議論というのは、移民に対する税制度や送金に対する課税など、移民のお金を政府の懐に入れ、自国(移民送出国と受入国)の利益につなげることができるかだ。そこには、文面上の次男、三男、男性、女性、既婚、未婚という様々なステータスやその他社会的なつながりは、移民が「ヒト」となる過程において政策上なおざりにされてきた。

そうしたつながりは軽視されてきたというよりも、つながりに伴う政府にとって都合の悪い要因を排除するために、そうしたつながりは無視されてきたという言い方のほうが正しいのかもしれない。つまり、「ヒト」という個人のみに責任を負う形をとることで、国家はその被扶養者の社会福祉を保証から免れ、そこから生じる二次産物としてのお金をどのように自分の懐に入れるかの議論を移民の問題の最大の焦点とすることが可能になる。そうした移民制度において、家族移民というのはその全員が「ヒト=労働者」である場合以外においては例外的にしか発生しない。

その結果、移民労働者である限り、孤独はつきものであり、母国で待つ家族のために働かなければならない、そして、その苦難を超えた先に「成功」があるのだというある種の共通理念が生まれる。「故郷で待つ愛する妻や子のために身を粉にして、我が身を顧みない働く父親」、このような出稼ぎにおける痛みを伴う労働美徳は、「強い」連帯と移民労働という労働形態が産み出した「錦を故郷に飾る」こととを最終的な到達地点とした上で、「ヒト」であることをその移民に強いてきた。その痛みはあたかも移民が払うべき当然の手数料であり、不平等な両道環境や労働市場はこの移民のストーリーの礎として、暗に正当化されていった。

しかし、その一方でこの近視眼的政策がいかに現実と合致していなかったのかは歴史を見れば明らかだ。政策上の「ヒト」は、労働を行う機械ではない。彼らは新たな土地で新たな生活を始める。労働以外の普段の生活、「当たり前」だったものの変化は、彼ら目にはどのように映っただろうか。スーパーマーケットで買い物をすれば、次第に母国のものが欲しくなる。そうした「ヒト」が増えると、その需要に応えるようにエスニクフードのファミレスやスーパーマッケットができる。慣れない土地で新たな生活に適応していくために、「ヒト」同士がお互いに助け合っていくなかで自助組織としてのエスニックコミュニティが出来上がっていく。

また、母国との貨幣価値の差は、出稼ぎ労働者に貧しいながらも新たな生活を浸透させていく。厳しく不当な労働環境に耐えたものの中には、「故郷に錦を飾る」お金だけでなく、逆に母国にいる家族を呼び寄せることも可能になったものもいる。彼らにとって、安価でも買えるようになった薄型の大型テレビ、自家用車の保有、深夜になっても開いているコンビニ、そういった新たな生活は彼らの新しい「当たり前」になる。政府が期待した短期労働移民が¬¬¬—¬時には自らの母国に帰るという強い意志と裏腹に—こうして定住への道を歩み始める。こうした日常の中で、「ヒト」として隔離した労働者が急に「人間」としての側面を増加させていく。

こういった例はいくらでもある。アメリカで黒人の単純労働者の代替としてメキシコ移民を積極的に呼び寄せたBracero プログラム によって生まれたLatino Community、カナダのLive-in Caregiver プログラム—このケースの場合、女性が移民労働者として家を出て行くケースが多く、家族内での女性の社会的役割の変化(Bread Winner 像の弱体化)に関する考察はさらに複雑化する—は多くのフィリピン女性をカナダに呼び寄せたし、日本においてバブル前のポスト高度経済成長期に労働力の補填を円滑に行うために呼び寄せた日系ビザのプログラムでは多くの日系ブラジル人やペルー人が日本にやってきた。このように例をあげはじめればきりはない。家族・親戚ネットワークによって円滑化されていった移民ルート、その結果、ますますその色を強めていったエスニックプレイス、短期労働者から定住への道を進むにつれて、彼らを「ヒト」の枠で扱うことが不可能であるということはもはや自明であった。

移民の歴史を家族という視点を借りて見直してみるという試みは、国家の政策における「家族」を見るだけにとどまらない。国家の戦略的成長としての移民制度が移民排出国に「ふさわしい家族像」を提示してきた一方で、「強い」連帯としての家族も同じ要因戦略的に移民の意思決定を行ってきたことへの注目が高まっていったこともここでは触れておきたい。例えば、アジアの農村地帯では、当主(主に父親)がもつ資産(主に土地)を長男に継がせる一方で、ある種のリスクヘッジとして長女や次男を海外へと移民労働に出すケースなどがある。このリスクヘッジという言葉は、いささか乱暴でそれこそかなり功利主義的な家族像の上に成り立っているという批判もあると思うが、実際にそのような側面が研究者から指摘されていることは注目すべきだろう。というのも、そこには文化的や経済的な違いはあるだろうが、そのような考え方の根本が局所的であるとは思わない。自分自信、我が家の状況を振り返ってみても、自分が次男で三人兄弟姉妹の末っ子であるということは、自分のキャリア設計に何らかの影響を及ぼしているであろうし、それは家族の自分に対する期待や考えにも同じように影響があっただろう。それを結果としてみた時には、そのような批判はあってしかるべきなのだ。また、こういう批判は逆に長男が両親の面倒を見るという日本の伝統的な価値観がどのように個人の移民や海外への意識に影響を与えているのかというものを見る新たな指標であることも同時に包括している。

もちろん、そこにはインターネットのおかげで遠隔コミュニケーションや海外送金が容易になったことで離れて暮らす家族を、家族の分断ではなく、新たな家族のかたちとして積極的に捉える見方がこういった決断を後押ししていることは確かだろう、そういう意味では、移民というリスクテイクに伴うリスクヘッジという考え方よりも、移民による最大幸福の探求というほうがしっくりくるようなケースもあるのではないかと思う。

とにかく、今回はその選択者としての家族が産み出した新たな家族体系を一つ紹介したい。というのも、「Astronaut Family (宇宙飛行士家族)」が新たな家族のあり方として近年注目を集めているからだ。Astronaut Family はもともと香港や台湾の家族が80年代国家の情勢不安(e.g. 香港の中国返還)から、家族の構成員(多くのケースでは子供達)を別々の国々へと学生や労働者として送り出したことが始まりであると言われている。Bread Winner である父親や母親は母国でビジネスを持ちそこに家族としての基盤は維持し、年に数回、家族行事には全員が母国へ帰ってくる。そうして、家族それぞれが別々の国に住みながらも、家族という共同体を維持していく。こうした新たな選択決定者としての家族が注目を浴びるようになったのは、その共同体として「近さ」をもとに彼らが国境を越えてビジネスを展開していくことがわかったからだ。もちろん、そこには家族内でのpoliticsが発生することも触れられている。例えば、長男は親のビジネスを継がないといけないのかそれとも全く新たなビジネスを家族や親戚のネットワークを利用して始めるのか、結婚は自由意志なのかそれともいわゆるお見合い婚をしないとならないのか。そこには、新たな国で獲得した価値観と母国で培われた価値観の衝突が共同体内で巻き起こっている。

しかし、それ以上に興味深いのが、それが言語というツールの利用にとどまらず、家族という共同体を基にしたネットワークそのものがそのビジネスの差別化可能なビジネスのリソースとなりつつあるということだ。特にそのコミュニティが移民した国で十分に発展している場合、経済移民が母国言語をビジネスや雇用獲得の際に最大限利用してきたことは想像に難くない。しかし、移民という現象が産み出した新たな家族の形が、今日におけるビジネスの経営戦略基盤になるという事実は、昨今の移民のEntrepreneurshipへの高い意識に対する注目と相まって、国家に新たな視点を提供するかもしれない。

このようなポジティブな予測がある一方で、自主的な、戦略的な選択の上での移民だとしてもその影響が必ずしも家族にとってプラスではあるとは限らないことは留意しておくべきだろう。国境という線によって隔てられた家族、すなわち遠隔コミュニケーションと年に数回の家族の再会を根幹にした遠い「近さ」は、その言葉の矛盾をそのまま指摘するように、新たな問題を提示し始めている。

例えば、先ほどのAstronaut Family の例においても、この新たな家族体系が示してきたのは肯定的側面だけではない。Astronaut Family が家族の意思決定の結果として現れたモノである以上、そのカテゴリー内でも様々な違いが存在する。中でも、近年カナダにおいて顕著なのは、彼らがその子育ての場をカナダに移すことが多いということだ。Bread Winner である夫は一年の多くを母国で仕事をしているので、異国に残された母親は子育てに関するすべての責任を背負うことになる。そうした新たな家族体系に対し、Settlement Agency、エスニックコミュニティといった公共の場でのサービスは実態に追いついているのだろうか。子育てにおいて一番の心強いサポートは「近い」人々—両親、祖父母、友人(いわゆるママ友)—からくるものだと言われているが、そのような人々のサポートは十分に受けられているのだろうか。

以上、今回は別シリーズの開始ということで、今の自分の考えを提示する場を設けるために、様々な問題の中から「家族」という共通因子をできる限り見つけることに終始したのだが、次回はこの中から一つのテーマに絞って議論していきたいと思う。